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大仏の日

本日、4月9日は「大仏の日」だそうです。天平勝宝4年(752)年のこの日、奈良・東大寺の大仏開眼供養が行われたことに由来します。

大仏の納められている大仏殿は世界一大きな木造建築物です。

東大寺大仏は、聖武天皇により天平15年(743年)に造像が発願され、天平17年(745年)から制作が開始されました。聖武天皇は「生きとし生けるものが共に栄えること」を願い「大仏造立の詔」を発し、大仏が造立されました。

鎌倉の大仏さまは「阿弥陀仏」ですが、奈良の大仏は「盧舎那仏(るしゃなぶつ)」です。

大仏と大仏殿は、平安時代末期と戦国時代に兵火で焼失し、再建されています。

1回目は治承4年(1180年)の平重衡(しげひら)による南都焼討によるもので、この時には興福寺と東大寺が焼失しました。この時に大勧進職として俊乗房(しゅんじょうぼう)重源(ちょうげん)上人が再興に奔走しました。はじめこの大勧進職は法然(ほうねん)上人に下命があったものの、法然上人が辞退して重源上人を推挙したともいわれています。鎌倉幕府の協力を得て、文治元年(1185)に「大仏開眼供養」が行なわれました。また、大仏殿の落慶法要は建久6年(1195年)に行なわれています。

2回目は永禄10年(1567年)、三好・松永の乱がおこり松永久秀の兵火により焼失しました。この時は、復興事業がなかなか進まず、大仏は頭部は銅板で仮復旧されたままで、雨ざらしの状態が続いたそうです。その雨に打たれる露座の大仏を見た公慶(こうけい)上人はその姿に悲嘆し、大仏殿の再建を決意したといいます。公慶上人は幕府から大仏再興のための勧進(資金集め)の許可を得て、ようやく再興が始まりました。徳川綱吉の援助もあり、元禄5年(1692年)に大仏の修理が完成して開眼法要が行なわれました。公慶上人は大仏殿の落慶を見ることはなく、宝永2年(1705年)に亡くなりました。大仏殿の落慶が成ったのは宝永6年(1709年)、公慶上人が没してのち4年目のことです。現在の東大寺に見られる大仏殿はこのときに再建されたものです。

奈良・東大寺の大仏については、奈良国立博物館学芸部長の西山厚氏による『仏教発見!』(講談社現代新書)でわかりやすく記されています。お薦めですので、皆さんぜひお読みになってみて下さいね。
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清岸寺

Author:清岸寺
清岸寺・住職の弘之(お坊さん読みでコウシ)です。
学歴:大正大学人間学部仏教学科卒業、大正大学大学院修士課程修了。
趣味:読書、映画鑑賞、合気道(合気道歴20年)。

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