お盆の「みそはぎ」と「水の子」
お盆には、「みそはぎ」という花を盆花として、また「水の子」(水の実)というお供え物を、盆棚(精霊棚)にお供えする習慣があります。
以前、この「みそはぎ」と「水の子」についてご質問を受けたことがあるので、それらについて書いてみたいと思います。
「みそはぎ」は、閼伽器(あかき)といって閼伽水(あかすい、あかみず、アカとはサンスクリット語の音写で仏前のお供えに用いるきれいな水のこと)を入れた器と共に、花穂を束ねて盆棚(精霊棚)にお供えします。そして、水の子やお供物に水向けをするために用います。
「水の子」(みずのこ)とは、お盆の供物の一つで、器にナスやキュウリなどの野菜を賽(さい)の目に細かく刻んで洗米(せんまい、洗ったお米)を混ぜたものです。
水向けとは、水を手向けることで、盆棚(精霊棚)をお参りする時には、「みそはぎ」の束に「閼伽水」を含ませて「水の子」に振りかけます。
お棚経の時には、僧侶(お坊さん)は水向けの時に、施餓鬼会でも用いられる「変食陀羅尼」(へんじきだらに、献供呪(けんくじゅ)のこと、「加持飲食陀羅尼」(かじおんじきだらに)ともいう)という呪文(陀羅尼)をお唱えします。この陀羅尼(だらに)は、お釈迦さまが過去世において観音菩薩から授けられたもので、唱えればお供えの飲食物が無量に増えるというものです。
お寺の施餓鬼会(せがきえ)では、樒(しきみ、しきび)で施餓鬼棚の供物や塔婆に水向けをしているのをご覧になったことがあるかもしれませんが、「みそはぎ」は樒の代わりといえるでしょう。「みそはぎ」は花がポロポロと落ちるので、お檀家さんにはあまり評判はよくありませんが…。
「みそはぎ」は漢字では禊萩と書き、「みそぎはぎ」を略した言葉で、鼠尾草とも書きます。鼠の尾に似ていて、古くから禊(みそぎ)に使われたことが分かります。「みそはぎ」は多年草で、湿地や田の畔などに生え、お盆の頃に花をつけます。昔は道端に生えて、すぐ手に入る植物だったのでしょう。地方では今でもそうなのかもしれませんが、都会ではそうはいきませんのでお盆の時期になるとお花屋さんで売られています。
『和漢三才図会』巻第九十四之末には「按ずるに鼠尾草多く摂河州より出づ。于蘭盆(うらぼん)聖霊祭に鼠尾草を用ひて水を供(たむ)く。因て水掛草と称す。」とあります。
天野信景著の『塩尻』巻之八十二の「しきみを仏に供す」には「或人、シキミを仏に供するは吾国のならはし、神に榊を取と同じ、シキミも常磐木なれば榊なりと、是憶説也。凡そ樒を仏に供する事、密家の諸儀軌に出て天竺より伝えし事也、或人云、鼠尾花を水かけ草と読、霊に水手向る草なる故の名なりと、是亦和風歟。等持寺の原古が施餓鬼集類分解に、鼠尾草は医書に止咽渇蘇息腹病草なりといへり、されば鬼類の渇を止るが故に此草を用ゆるにや。」とあります。
以前、この「みそはぎ」と「水の子」についてご質問を受けたことがあるので、それらについて書いてみたいと思います。
「みそはぎ」は、閼伽器(あかき)といって閼伽水(あかすい、あかみず、アカとはサンスクリット語の音写で仏前のお供えに用いるきれいな水のこと)を入れた器と共に、花穂を束ねて盆棚(精霊棚)にお供えします。そして、水の子やお供物に水向けをするために用います。
「水の子」(みずのこ)とは、お盆の供物の一つで、器にナスやキュウリなどの野菜を賽(さい)の目に細かく刻んで洗米(せんまい、洗ったお米)を混ぜたものです。
水向けとは、水を手向けることで、盆棚(精霊棚)をお参りする時には、「みそはぎ」の束に「閼伽水」を含ませて「水の子」に振りかけます。
お棚経の時には、僧侶(お坊さん)は水向けの時に、施餓鬼会でも用いられる「変食陀羅尼」(へんじきだらに、献供呪(けんくじゅ)のこと、「加持飲食陀羅尼」(かじおんじきだらに)ともいう)という呪文(陀羅尼)をお唱えします。この陀羅尼(だらに)は、お釈迦さまが過去世において観音菩薩から授けられたもので、唱えればお供えの飲食物が無量に増えるというものです。
お寺の施餓鬼会(せがきえ)では、樒(しきみ、しきび)で施餓鬼棚の供物や塔婆に水向けをしているのをご覧になったことがあるかもしれませんが、「みそはぎ」は樒の代わりといえるでしょう。「みそはぎ」は花がポロポロと落ちるので、お檀家さんにはあまり評判はよくありませんが…。
「みそはぎ」は漢字では禊萩と書き、「みそぎはぎ」を略した言葉で、鼠尾草とも書きます。鼠の尾に似ていて、古くから禊(みそぎ)に使われたことが分かります。「みそはぎ」は多年草で、湿地や田の畔などに生え、お盆の頃に花をつけます。昔は道端に生えて、すぐ手に入る植物だったのでしょう。地方では今でもそうなのかもしれませんが、都会ではそうはいきませんのでお盆の時期になるとお花屋さんで売られています。
『和漢三才図会』巻第九十四之末には「按ずるに鼠尾草多く摂河州より出づ。于蘭盆(うらぼん)聖霊祭に鼠尾草を用ひて水を供(たむ)く。因て水掛草と称す。」とあります。
天野信景著の『塩尻』巻之八十二の「しきみを仏に供す」には「或人、シキミを仏に供するは吾国のならはし、神に榊を取と同じ、シキミも常磐木なれば榊なりと、是憶説也。凡そ樒を仏に供する事、密家の諸儀軌に出て天竺より伝えし事也、或人云、鼠尾花を水かけ草と読、霊に水手向る草なる故の名なりと、是亦和風歟。等持寺の原古が施餓鬼集類分解に、鼠尾草は医書に止咽渇蘇息腹病草なりといへり、されば鬼類の渇を止るが故に此草を用ゆるにや。」とあります。
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