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鎮西忌(ちんぜいき)

浄土宗の宗祖は法然房源空(ほうねんぼうげんくう)上人ですが、浄土宗の第2祖をご存知でしょうか?浄土宗の第2祖は聖光房弁長(しょうこうぼうべんちょう)上人といいます。

浄土宗は法然上人のお弟子によっていくつかの流派にわかれましたが、聖光上人を祖とする鎮西流の流れが現在の浄土宗です。その他には、大きく分けて証空上人を祖とする西山浄土宗や、親鸞聖人を祖とする浄土真宗がありますが、阿弥陀様や極楽浄土、そしてお念仏についての受け取り方が浄土宗とは異なる点も多いので注意が必要です。
特に、教団の大きさからか、いまだに歴史の教科書に浄土真宗の親鸞聖人が法然上人の教えを受け継ぎそして深めたというような記述がなされることは、浄土宗からすれば大変残念なことです。

中国浄土教の大成者である善導大師とその教えに偏(ひとえ)に依った法然上人の2人を2祖、法然上人とその教えを受け継ぎ邪義を廃した聖光上人、そしてその弟子の良忠上人の3人を3代として、浄土宗では2祖3代(にそさんだい)の教えを宗義として教義の拠り所としています。

聖光房弁長上人は、九州西北部を中心に活躍したため、鎮西上人・筑紫上人・善導寺上人などとも称されます。
聖光上人が福岡県久留米市に建立した善導寺は、浄土宗の7大本山の1つとなっています。

聖光房弁長上人は嘉禎(かてい)4年(1238)閏2月29日に77歳で亡くなられました。
2月29日の聖光上人(鎮西上人)の忌日に行われる法要が鎮西忌(ちんぜいき)です。
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美作国(みまさかのくに)誕生寺(たんじょうじ)参拝

昨日より1泊2日で城西組(じょうさいぐみ)青年会の研修旅行に行って参りました。

昨日は、浄土宗の開祖・法然上人の誕生の地である美作国久米南条稲岡庄(現在の岡山県久米郡久米南町)の誕生寺(たんじょうじ)に参拝しました。

誕生寺は、法然上人が誕生した館があった場所に、上人のお弟子となった熊谷直実(くまがいなおざね)こと法力房蓮生(れんせい)法師がこの地に赴いてお寺を建立したものです。法然上人二十五霊場の第一番になっています。

法然上人は、久米の押領使(おうりょうし、地方の治安維持にあたる在地豪族)であった父の漆間時国(うるまのときくに)と、母の秦氏(はたうじ)の一人息子として長承2年(1133)4月7日に誕生されましたが、保延7年(1141)に父の時国は預所 (あずかりところ、荘園を領主から預かって管理する人)の源内武者定明(げんないむしゃさだあきら)の夜討ちにあって、非業の死をとげられました。法然上人が9歳の時のことです。法然上人は父の遺言に従って出家の道を進みます。

誕生寺の場所は、通常は法然上人の父・漆間時国の館跡とされていますが、誕生寺のご住職のお話だと、実際は母の秦氏の館であった可能性が高いとのことです。つまり、法然上人の絵伝の絵を見ると夫が妻のもとに通う妻問婚(つまどいこん)であり、絵にある館は押領使の館には見えず、母の秦氏の館であったので容易に夜討にあったのではないかということでした。また、古い地図には父・時国の館跡は、誕生寺から少し離れた立石家の屋敷がある場所となっているそうです。

誕生寺参拝後、車で5分ほどの所にある仰叡(ぎょうえい)の燈(別称:都原)に行きました。法然上人が15歳の時、比叡山に登る際に母の秦氏とお別れした場所です。

そこから車で20分ほどの所にある、本山寺(岩間の観音様)にもお参りしました。法然上人のご両親が上人を授かるためにご祈願されたがあります。本山寺は天台宗のお寺です。本堂は改築中でした。

昨日の夜は湯郷温泉(ゆのごうおんせん)に泊まり、ゆっくり温泉に入ることができました。

本日は、湯郷温泉から姫路まで移動して、世界遺産で国宝の姫路城(ひめじじょう)を見学。
姫路城の大天守は保存修理期間中でしたが、修理中の見学施設「天空の白鷺」ができていました。
姫路城は、昭和の大修理時は全面解体の大規模な修理でしたが、今回は傷みや汚れの激しくなった漆喰壁(しっくいかべ)の塗り直しや、屋根瓦の葺き直し(ふきなおし)を中心に、5年をかけて大規模な工事を行なっているそうです。
こうした定期的な補修が、職人さんの技術の継承につながっているそうです。
素屋根(工事用建屋)を覆うシートに実物大の大天守を線画で表現してあり、大変面白い趣向だと思いました。姫路駅からも見ることができます。
また、姫路城ではお笑いコンビの爆笑問題がテレビの撮影をしていました。どんな番組で放映されるのか楽しみです。

『下山の思想』五木寛之

『大河の一滴』や小説『親鸞』の著書で有名な五木寛之氏が『下山の思想』(幻冬舎新書)という本を出版しています。
本の帯には「未曾有の時代にどう生きていくか。究極のヒント」とありますが、五木寛之氏は日本や世界は登山ではなく下山の時代に入ったと主張しています。
著者が生きた日本の戦後の時代や人生を振り返りつつ、現代の問題や東日本大震災に触れたエッセイです。
全体は、「いま下山の時代に」「下山する人々」「いま死と病を考える」「大震災のあとで」「ノスタルジーのすすめ」という大きな章立てに分かれています。
その「下山する人々」の中で、法然上人について触れています。鎌倉新仏教の開祖は皆、比叡山で修行をしてから下山して新しい宗派を開いていますが、その中で法然上人が取り立てて下山の人の例としてこの本に記されている所にも法然上人の偉大さが感じられます。

以心転方(いしんてんぼう)

浄土宗のご本尊は、西方極楽浄土にまします阿弥陀如来ですので、浄土宗のお仏壇は西に方角に置くのが一番いいとされています。
しかし、家の作りや部屋の形によってなかなかそのように置くことは難しいことも多いと思います。たとえ西の方角にお仏壇を置くことができなくても、阿弥陀様をお祀りするお仏壇を置く方角を西方と見立てて拝みます。これを「以心転方」(いしんてんぼう、「転心転方」ともいう)といいます。実際の方角よりも、心によって方角を転じるということです。

また、ご遺体をお釈迦様の入滅の姿に因んで北枕にする習慣がありますが、無理に実際の北の方角に合わせて北枕にすることができなくても構いません。
それよりも、枕飾りや葬儀の時に、阿弥陀様の仏像や画像をお祀りする祭壇の方角(実際の方角とは関係なく)を西方と見立てて浄土宗では飾りつけをします。つまり、正面の祭壇が西方ですから、北枕にするには北の方角は祭壇に向かって右側ということになります。葬儀社の中には、向かって左側にご遺体の頭部を安置していることがありますが、(他の宗派での見解は存じませんが)浄土宗においてはご遺体の頭部は祭壇に向かって右側に安置していただきたいと思います。

「北枕」(きたまくら)と「頭北面西・右脇臥」(ずほくめんさい・うきょうが)

皆さんは、「北枕で寝てはいけない」という迷信を聞いたことがあるでしょうか?
「北枕で寝てはいけない」というのは、人が亡くなった時にご遺体を「北枕」で安置することから、生きている人が死者と同じ寝方をすることを忌んで避けたことによる日本独自の迷信のようです。

では、亡くなった方をなぜ「北枕」で寝かせるかというと、お釈迦様が亡くなられる時に「北枕」で横になったことに因みます。
お釈迦さまが亡くなられた(入滅といいます)のは、日本では2月15日と伝えられ、涅槃会(ねはんえ)が行なわれます。80歳になったお釈迦様は、旅の途中で体調を崩し、クシナガラという村で二本のサーラ樹(沙羅双樹)の間に、頭を北にして顔を西に向け右脇を下にして横になり、入滅されました。この寝方を「頭北面西・右脇臥」(ずほくめんさい・うきょうが)といいます。
つまり、お釈迦様が「頭北面西・右脇臥」で入滅したことから、死者を「北枕」にする習慣ができたのです。

それでは、なぜお釈迦さまは「頭北面西・右脇臥」という「北枕」で横になられたのでしょうか?
仏教学者の中村元先生によるとインドで教養のある人は今日でも「頭北面西」つまり「北枕」で寝る習慣があるそうです。そうであるなら、「北枕で寝てはいけない」という日本の迷信は全く気にする必要はないといえるでしょう。

また、私はインドに仏跡参拝に行ったことがありますが、ガイドのインド人からインドでは故郷のある方角に頭を向けて寝る習慣があり、故郷に足をむけては寝ないとの説明されたことがあります。釈尊の故郷であるカピラヴァストゥは、釈尊が入滅したクシナガラの北の方角に当たるので、「北枕」で横になったということです。

「北枕」は、健康法でよく言われる「頭寒足熱」に適った寝方であるともいわれます。
また、「北枕」で寝ることは、科学的に地球の磁気に沿った寝方であるといわれ、健康にいいとも言われています。
巷に出回っている風水の本でも「北枕」で寝ることを推奨しているようです。

「右脇臥」という右脇を下にした寝方も、心臓に負担のかからない寝方であり、理想的な寝方といえるでしょう。

「面西」という顔を西に向けることは、阿弥陀如来の西方極楽浄土に思いを寄せる意味もあります。

宮崎哲弥『仏教教理問答~連続対談 今、語るべき仏教~』

テレビで評論家やコメンテーターとして有名な宮崎哲弥氏が、各宗派の若手僧侶と「サンガジャパン」でおこなった対談企画が書籍化されました。

『仏教教理問答~連続対論 今、語るべき仏教~』(サンガ)というタイトルからして難しそうな本です。

対談相手は真言宗の白川密成氏、浄土真宗の釈徹宗氏、天台宗の勝本華蓮氏、曹洞宗の南直哉氏、浄土宗の林田康順氏です。

宮崎哲弥氏が初めて出す仏教書で、ご自身はインド仏教思想の特に龍樹の中観派の影響を多分に受けているそうです。そのため、宮崎氏は日本の仏教に非常に批判的な立場に立っています。

最後に収録された浄土宗の林田康順氏との対談では、仏教に対する考え方の違いが顕著に表れています。なお、この章では林田氏により法然上人の浄土宗と親鸞聖人の浄土真宗の違いが語られており、非常に重要なキーポイントとなるのでぜひ一般の方にもお読みいただきたいと思います。

タイトルに仏教教理問答というだけあって、仏教の非常に難しい教理上の問題にもふれていて、あまり仏教書に触れていない方には、読みにくいかもしれません。ただ、それだけ読みごたえのある本ですので、ぜひ仏教に懐疑的な方にもお読みいただきたいと思います。
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清岸寺

Author:清岸寺
清岸寺・住職の弘之(お坊さん読みでコウシ)です。
学歴:大正大学人間学部仏教学科卒業、大正大学大学院修士課程修了。
趣味:読書、映画鑑賞、合気道(合気道歴20年)。

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