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『寄り添いの死生学―外国人が語る浄土の魅力』

浄土宗から『寄り添いの死生学―外国人が語る浄土の魅力』という本が出版されています。
この本はもとになった英語本『Never Die Alone』の日本語訳だそうですが、仏教の来世観に魅せられた欧米の学者が往生浄土と「死への準備」について語っている点で非常に注目されます。
キリスト教やイスラム教などの一神教の宗教が広まった欧米において、仏教への関心が高まっていることは良く知られています。しかし、そのほとんどが禅宗やチベット仏教やヴィパッサナー瞑想などであり、浄土教に関しては今までそれほど注目はされてはいませんでした。
欧米の学者が一神教の世界では満足せず、仏教のしかも浄土教について研究していることは非常に有難いことです。
また、欧米の学者の中には、死生観に関して、欧米で流布している一部の仏教理念―「今のこの存在だけがすべてである」というのが釈尊の教えであって、それ以外は迷信であるという、非常に独断的な主張―では死を捉えることはできないということに気づきはじめたようです。
ぜひ皆さんも、外国人が語る浄土の魅力を感じてみて下さい。
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『死んだらおしまい、ではなかった』

『死んだらおしまい、ではなかった』(PHP研究所)という本があります。副題には「2000人を葬送したお坊さんの不思議でためになる話」とあります。どんなお坊さんが書いているのかと思いましたら、大島祥明さんという浄土宗のお坊さん(千葉県の大念寺住職)でした。
内容は著者が多数の葬儀を心を研ぎ澄ましてお勤めしていくうちに、亡くなった方、つまり死者の霊を実感するようになったというものです。そして著者が経験した葬儀における霊的体験のこぼれ話を語っています。

中には勘違いをしている方もいるかもしれませんが、普通のお坊さん(僧侶)は霊能者ではありませんので、霊感があるわけではありません。各宗派のお坊さん(僧侶)は、各宗派で拠り所としているお釈迦様の教えが説かれたお経や各宗の宗祖様のお言葉によって、亡くなった方をご供養しています。

しかし、お坊さん(僧侶)として葬儀をお勤めしていると、葬儀によって読経の疲れ度合いが違ったりすることがあったり、一人で読経を勤めているのに複数の読経の声を聞いたなど、不思議な体験があったことをお坊さん同士で語ったりすることがあるのも確かです。

スピリチュアルブームは落ち着いてきたように思いますが、まだまだ一般の方にとっては死後の世界や霊的世界には関心があることと思います。そのような世界に興味のある方の中には、いろいろな霊能者や宗教者の死後の世界や霊的世界の本を読んで、その矛盾や相違に困惑している方もあるかと思います。
そのような方は、一度信頼のおける仏教書を読み、浄土教の世界に触れていただきたいと思います。

私としては、『死んだらおしまい、ではなかった』では著者個人のスピリチュアル体験が書かれているだけで、浄土宗のお坊さんであるにもかかわらず、阿弥陀様の存在やお念仏の功徳が全く言及されていないのが不満に残りました。
しかし、この本は仏教や浄土宗の教えに基づいたものではありませんが、「死んだらおしまい」と思っている方にとっては、一般の(しかも浄土宗の)お坊さんが感覚的に「死んだらおしまい、ではなかった」ということを体験談として語っていることは大変興味深いと思いました。

「震災に立ち向かう仏教者たち」

本日、12月8日はお釈迦様がお悟りを開かれた成道会(じょうどうえ)でした。

私は仏教NGOネットワーク(BNN)主催の「震災に立ち向かう仏教者たち」というセミナーに参加してきました。

テーマは「そのとき仏教者はどう動いたか」

はじめに東日本大震災被災者への祈りの時間が設けられ、皆で追悼法要をいたしました。

前半は、国際NGO協力センター(JANIC)から「東日本大震災時の国際NGOの動きについて」の説明があり、NGOの対応や、何ができて何ができなかったのか、また今後どうすべきなのかのお話がありました。

後半は、被災地寺院のご住職からの現場の生の声や、仏教者による支援団体や仏教青年会などから主な活動内容の説明がありました。
被災地寺院のご住職からは、お寺を避難所として開放したことや、体育館での避難生活の様子、遠距離(他県)の火葬場への出向の御苦労などのお話がありました。
また、現在被災者の一部の人々が支援慣れをしてきている様子や被災地にパチンコ屋が繁盛している状況も忌憚なくお話しされ、被災者の自立・自活の課題を述べていました。

各仏教団体の報告をまとめると、寺院の活動と行政がうまく連携できていないため、寺院とNGO・NPO・ボランティア団体との連携の必要性を述べていました。また、全国のネットワークがある寺院を地域の拠点としていく必要性があり、災害時に
・避難所としての活用、
・物資搬送と保管場所としての活用、
・情報共有の場所としての活用、
・人的移動拠点としての活用
などが挙げられていました。

今後いつどこで大災害が起きるかわかりませんが、仏教寺院が災害時に何が出来るか、東日本大震災の教訓を生かして対策を考えていかなければならないと強く感じました。
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清岸寺

Author:清岸寺
清岸寺・住職の弘之(お坊さん読みでコウシ)です。
学歴:大正大学人間学部仏教学科卒業、大正大学大学院修士課程修了。
趣味:読書、映画鑑賞、合気道(合気道歴20年)。

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