清岸寺本堂
清岸寺の建物は、戦災により全焼したため、現在の本堂は、千葉県南房総市の市部(いちぶ)にあった豪壮な民家を戦後に移築したものです。その建物は当時、岩井御殿と称されていたそうです。今村家は砥石を発掘して財を築いた家だったようです。
清岸寺の本堂は、大部手直しはしていますが、明治期の木造建築で、渋谷区でも珍しいそうです。
本日、本堂が移築される前のことを知る清岸寺の総代・岩本氏と共に、今村家の岩井御殿の跡地を訪ねてきました。
今村家の跡地は空き地になっており、残念ながら当時の面影はありませんでした。
その後、今村家の菩提寺も訪ねました。
今村家の菩提寺は、市立岩井小学校の東隣にある曹洞宗の福聚院(ふくじゅいん)です。
福聚院は、勝山藩酒井家ゆかりの寺院で、初代波の伊八(武志伊八郎信由)の欄干彫刻があります。また、房州ビワ改良種第1号の福聚院ビワの発祥の地だそうです。
墓地には、大変大きな今村家の墓石が3基ありました。
初めて本堂の縁の地を訪ねることができて感動しました。今後とも、清岸寺の本堂を大切にしていきたいと思います。
清岸寺の本堂は、大部手直しはしていますが、明治期の木造建築で、渋谷区でも珍しいそうです。
本日、本堂が移築される前のことを知る清岸寺の総代・岩本氏と共に、今村家の岩井御殿の跡地を訪ねてきました。
今村家の跡地は空き地になっており、残念ながら当時の面影はありませんでした。
その後、今村家の菩提寺も訪ねました。
今村家の菩提寺は、市立岩井小学校の東隣にある曹洞宗の福聚院(ふくじゅいん)です。
福聚院は、勝山藩酒井家ゆかりの寺院で、初代波の伊八(武志伊八郎信由)の欄干彫刻があります。また、房州ビワ改良種第1号の福聚院ビワの発祥の地だそうです。
墓地には、大変大きな今村家の墓石が3基ありました。
初めて本堂の縁の地を訪ねることができて感動しました。今後とも、清岸寺の本堂を大切にしていきたいと思います。
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