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増上寺カウントダウン

今日は大晦日です。この一年を振り返り、除夜の鐘を撞いて反省する日です。
芝の浄土宗大本山・増上寺では除夜の鐘の他に、カウントダウンを開催いたします。私は今回初めて増上寺のカウントダウンのお手伝いに行きます。この行事は、年越しの瞬間にご参拝の皆様がそれぞれ願い事の書かれた用紙を貼り付けた環境風船約3,000個を大梵鐘の音と共に一斉に夜空へと放ち、行く年の自分を省み、来る年の平和と幸福をお祈りする行事です。お誘い合わせの上、是非ご参加ください(参加無料)。

スケジュール
20:30 お願い事用紙配布開始(増上寺光摂殿にて)
※時間前に定員に達した場合は、事前配布をおこなうことがあります。
22:30 風船引き換え開始(増上寺光摂殿にて)
23:20 カウントダウンイベント(鐘楼堂にて)
23:59 カウントダウン(境内全域にて)
※願い事用紙がないと風船はお渡しできませんので、ご注意下さい。
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クリスマスと釈尊降誕会

もうすぐクリスマスですが、クリスマスはご存じの通りキリスト教の開祖のイエス・キリストの誕生を祝う日で、一般的に12月25日です。一方、仏教の開祖のお釈迦様の誕生を祝う日は日本では4月8日で、釈尊降誕会(ごうたんえ)といい、灌仏会(かんぶつえ)や花まつりともいいます。
西暦はイエス・キリストの誕生した年を紀元元年としてしますが、実はイエス・キリストが誕生した年は紀元前4年~7年だそうです。なぜかというと、イエス・キリストはヘロデ王の統治下に生まれたと聖書に書かれていますが、ヘロデ王は紀元前4年になくなっているからです。
お釈迦さまが生まれた年は、お釈迦様が亡くなった年から逆算して推定しますが、インドではあまり歴史を残す習慣がなかったため、お釈迦さまが亡くなられた年にいくつかの説があります。お釈迦さまが亡くなられた年は、紀元前383年、紀元前386年、紀元前483年、紀元前486年などで、お釈迦様は80歳で亡くなられたので、亡くなった年から80年さかのぼった年がお釈迦様の誕生の年になります。
クリスマスが12月25日になったのは、実はヨーロッパで冬至祭を祝っていた日をキリスト教が取り込んだとされています。冬至は一年で最も日が短いので、太陽が最も弱っている日とされ、ヨーロッパでは太陽を復活されるお祭りをしていたそうです。また、聖書でイエス・キリストは家畜小屋(一般に厩、馬小屋)で誕生したとされ、羊飼い(冬は活動をしない)が訪ねてきていることから、キリストの誕生は実際は12月ではなく春などのもっと暖かい時期だと考えられています。

弥陀三尊(みださんぞん)

浄土宗のお寺の本尊様は阿弥陀如来ですが、阿弥陀様の左右に脇士(わきじ、きょうじ)として観音菩薩と勢至菩薩を一般的にセットでお祀り致します。これを弥陀三尊(みださんぞん)といいます。脇士とは本尊様の左右に控えている仏様で、本尊様の働きを補佐する仏様です。左観音・右勢至といって、阿弥陀様から見て左に観音(かんのん)菩薩、右に勢至(せいし)菩薩をお祀りします。したがって正面から見ると向かって右が観音菩薩、左が勢至菩薩です。観音菩薩は阿弥陀如来の慈悲、勢至菩薩は阿弥陀如来の知恵の働きを象徴しています。観音菩薩と勢至菩薩の見分け方は、頭の冠に化仏(けぶつ)といって阿弥陀如来の化身を戴いているのが観音菩薩、水瓶(すいびょう)を戴いているのが勢至菩薩です。
お釈迦さまを本尊とする時は、釈迦三尊(しゃかさんぞん)といって、文殊(もんじゅ)菩薩・普賢(ふげん)菩薩が脇士となります。
キリスト教では父と子と聖霊を三位一体としますが、仏教でも三仏を一般的にセットで本堂やお仏壇にお祀り致します。

本尊(ほんぞん)

お寺の中心としてお祀りする仏様を本尊(ほんぞん)といいます。また、ご本尊様をお祀りするお寺の中心となる建物を本堂(ほんどう)といいます。各宗派によって本尊は異なり、浄土宗では阿弥陀如来(アミダにょらい)を本尊とします。お寺にお参りするときにはそのお寺のご本尊様の名前に「南無(ナム)」という、帰依(きえ)・帰命(きみょう)を意味するインドの言葉を付けてお唱えします。浄土宗では阿弥陀如来のお名前に南無を付けて「南無阿弥陀仏(ナムアミダブツ)」とお唱えします。インドの挨拶の「ナマステ」の「ナマス」は「南無阿弥陀仏」の「南無」と同じで、尊敬を意味しています。「ナマステ」の「テ」は貴方を意味します。つまり「ナマステ」は貴方を敬いますという意味で、「南無阿弥陀仏」は阿弥陀如来に帰依・帰命しますという意味です。

成道会(じょどうえ)

今日、12月8日は成道会(じょうどうえ)の日です。成道会とは、お釈迦様がお悟りを開かれた日を記念する日です。お釈迦様はこの世が苦しみに満ちた世界であることに悩み、29歳で出家しました。出家してから6年間は当時の出家修行者が行っていた苦行をしていましたが、苦行ではこの世の苦しみは解決できないと判断し、苦行を捨てて菩提樹の木の下で瞑想をし、35歳の時に悟りを開かれて仏陀(ブッダ、覚者)となられました。お釈迦さまが苦行を捨てた時、村娘から乳粥の供養を受けて、苦行でやつれた体を癒しました。その村娘の名前はスジャーター。コーヒーミルクで有名な褐色の恋人「スジャータ」の名前の由来は、この村娘の名前です。
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清岸寺

Author:清岸寺
清岸寺・住職の弘之(お坊さん読みでコウシ)です。
学歴:大正大学人間学部仏教学科卒業、大正大学大学院修士課程修了。
趣味:読書、映画鑑賞、合気道(合気道歴20年)。

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