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高祖忌(善導忌)

本日3月14日は、一般的にはホワイトデーとして知られていますが、浄土宗では高祖忌(善導忌)です。

高祖忌(善導忌)とは、浄土宗の宗祖・法然上人が師と仰がれた中国浄土教の大成者である善導(ぜんどう)大師(西暦613~681)の忌日法要です。

浄土宗では、宗祖の法然上人を元祖さまと仰ぎ、善導大師を高祖さまと仰いでいます。

善導大師は、『観無量寿経』の注釈書である『観無量寿経疏(かんむりょうじゅきょうしょ)』(『観経疏(かんぎょうしょ)』)4巻の他、『法事讃(ほうじさん)』2巻・『般舟讃(はんじゅさん)』1巻・『観念法門(かんねんほうもん)』1巻・『往生礼讃(おうじょうらいさん)』1巻の5部9巻(ごぶくかん)の著作を残されています。

その中で、『往生礼讃』は『六時礼讃(ろくじらいさん)』とも呼ばれ、1日を6区分に分けて行なう帰命(きみょう)・懺悔(さんげ)・礼拝(らいはい)が示され、浄土宗では節をつけてお唱えします。

六時とは日没(にちもつ)・初夜(しょや)・中夜(ちゅうや)・後夜(ごや)・晨朝(じんじょう)・日中(にっちゅう)の6区分です。

浄土宗の法要では特に「日中礼讃」の中の「三尊礼(さんぞんらい)」をよく唱えます。また、お通夜では「初夜礼讃」が用いられますが、その他の礼讃は普段なかなか唱える機会がありません。

今年は、高祖忌(善導忌)の法要として、清岸寺の職員一同で、一座の法要の中で六時礼讃をすべてお唱えいたしました。






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二十日正月(はつかしょうがつ)と鏡開き

1月15日の小正月(こしょうがつ)が終わり、1月20日は二十日正月(はつかしょうがつ)です。この日を正月の祝い納めとして、お正月の御馳走やお餅を食べつくす習慣があるようです。

鏡開き(「開き」は「割り」の忌みことば)は、もともとはこの正月20日に行なわれていたようです。鏡開きは、正月に神仏にお供えした鏡餅をおろし、20日の小豆粥(あずきがゆ)や汁粉や雑煮に入れて食べていたのが、のちに11日の仕事始め(倉開き)に行なわれるようになったそうです。

武家の時代には、正月に男性は具足(ぐそく)=甲冑に、女性は鏡台に鏡餅を供えていたようで、具足の餅(具足餅)を開くところから鏡開きのことを「具足開き(具足の鏡開き)」「具足の祝い(具足の餅祝い)」といったり、鏡台で顔を初めて見るところから「初顔祝い」「初鏡の祝い」ともいうそうです。
20日(はつか)に祝ったのは、男性は「刃柄(はつか)」、女性は「初顔(はつかお)」にかけていたそうです。

鏡開き(具足開き)が11日に行なうようになったのは、徳川家光(4月20日没)の忌日(命日)が20日だったため、承応元年(1652)から20日を避るようになったためといわれています。

因みに「具足始め(具足初め)」は、武家で男子が元服して初めて甲冑を着用する儀式のようです。

「七五三」と月遅れの「お十夜」

日本の年中行事として11月15日に七五三があります。

七・五・三の数字は、陽の数字である奇数のうち、最初の一と最後の九を除いたもので、吉事に用いられます。

七五三のお祝いは、男の子は三歳と五歳、女の子は三歳と七歳の時に行ないますが、現在は男の子は五歳の時だけ行なう地域も多いようです。
また、本来は数え年でお祝いしますが、現在では満年齢でお祝いすることも多いようです。

日本で中世より吉日を選んで行なわれていた、三歳の男女の「髪置(かみおき)」、五歳の男児の「袴着(はかまぎ)」、七歳の女児の「帯解(おびとき)」の儀式に基づいています。

髪置は、生後たびたび頭髪を剃っていましたが、この時から髪を伸ばしはじめたようです。
袴着は、はじめて袴を着けたようです。
帯解は、それまで衣服に付紐を用いていましたが、付紐を外して縫い帯を着用しはじめたようです。

近世、江戸を中心に七五三の祝いとして、11月15日に晴着をまとって宮参りをし、無事成育を祈願する習慣ができたようで、明治時代に現在の形に定着したようです。

11月15日に七五三を祝うようになったのは、いろいろ説があるようですが、11月は古来より収穫を無事に終えた祭りの月として、旧暦の15日は満月で式日であったからといわれています。また、旧暦の11月15日は二十七宿で鬼宿日(鬼が出歩かない日)に当たり、何事をするにも吉であるとされたようです。

なお、徳川六代将軍綱吉(つなよし)の子である徳松(とくまつ)の数え三歳の髪置の式が天和(てんな)元年(1681)の11月15日であったことから、これにあやかって広く庶民の間で行われたようです。

ただ現在では、七五三は11月15日にあまりこだわらず、前後の土日・祝日など都合の良い日に行われています。

また、11月15日は月遅れの「お十夜法要」の日でもあります。
東京の芝にある浄土宗大本山・増上寺は11月15日にお十夜法要が行なわれています。
なお、お十夜の起源である京都の真如堂(真正極楽寺)という天台宗のお寺では、11月5日~15日までお十夜法要が行なわれているようです。

「お十夜(じゅうや)」と「おじや」

今日、十月十五日は清岸寺において浄土宗で大切にしている「お十夜(じゅうや)」という法要をお勤めいたしました。

清岸寺ではお施餓鬼とお十夜に、お斎(とき、お寺でのお食事のこと)として、お赤飯とお味噌汁とお漬物を参加されたお檀家の皆さまに振る舞っています。

お十夜には、昔から新穀を仏前に供え、これを粥にして参詣者に振る舞う習慣があるお寺もあるようです。これを十夜粥(じゅうやがゆ)といいます。
「お十夜」にお粥を振る舞うことから、お粥のことを「おじゅうや」が訛って「おじや」というようになったという説があるようです。真偽のほどはわかりませんが、「おじや」の語源とされるほど「お十夜」と「おじや」(お粥)の関係が深いことが分かります。
十夜法要の発祥の地である京都の天台宗のお寺、真如堂(真正極楽寺)でも小豆粥を振る舞っているようです。ご本尊にお供えした小豆飯のお下がりをお粥にして、参拝者に振る舞ったのが始まりだといわれています。

辞典では「おじや」は「雑炊」をさす女性語(女房詞)であり、みそなどで味をつけて炊き込んだ粥の一種とあります。
因みに「お粥」と「雑炊」の違いは一般的に、「お粥」は生米から、「雑炊」は炊いたお米から作るといわれています。

なお、十夜の法要は、民俗学では亥(い)の子(こ)や十日夜(とうかんや)などの収穫祭との関係も指摘されています。

七夕とお盆

7月は東京ではお盆月です。

今月(平成24年7月号)の「浄土宗新聞」でも取り上げられていましたが、7月7日の七夕も仏教やお盆と大変深い関係があります。

今年の七夕も生憎のお天気でしたが、もともと七夕もお盆も旧暦で行なわれていました。明治時代から太陽暦が使われるようになり、七夕は梅雨の時期に当ってしまい、毎年あまり天気に恵まれなくなってしまいました。

7月1日は釜蓋朔日(かまぶたついたち)と呼ばれ、お盆の始まり(盆入り)とする地方や、7月7日を七日盆(なぬかぼん)と呼んで盆入りとする地方もあります。

七日盆の行事としては、墓掃除、盆棚(精霊棚)作りなどが行われますが、お盆にご先祖様を迎えるための精霊棚(しょうりょうだな)と幡(はた)を準備する日ということから「棚幡(たなばた)」と呼ばれ、7日の夕方からその準備を始めたところから「七夕」を「たなばた」と呼ぶようになったと言われています。

お盆と前後に寺院で行なわれることの多い施餓鬼会(せがきえ)では、施餓鬼棚(施餓鬼檀)の四方を笹竹で飾り、宝勝(ほうしょう)如来・妙色身(みょうしきしん)如来・甘露王(かんろおう)如来・広博身(こうばくしん)如来・離怖畏(りふい)如来の五如来をお祀りするための五色の幡(施餓鬼幡、五如来幡)をお飾りしますが、お盆の精霊棚でも四方を笹竹で飾り、五色の幡をお飾りすることがあります。
童謡の「七夕さま」でも「笹の葉サラサラ~」や「五色の短冊~」と歌われていますが、施餓鬼棚や精霊棚に飾られる笹竹と五如来幡がその原型といえるでしょう。
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清岸寺

Author:清岸寺
清岸寺・住職の弘之(お坊さん読みでコウシ)です。
学歴:大正大学人間学部仏教学科卒業、大正大学大学院修士課程修了。
趣味:読書、映画鑑賞、合気道(合気道歴20年)。

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