『西遊記』における観音菩薩
『西遊記』の中に魚籃(ぎょらん)観音が出てきますが、『西遊記』における観音菩薩については沼義昭著の『観音信仰研究』にある以下の記事が参考になります。
「『西遊記』における観音の登場は、実はようやく明代になってからであった。南宋末成立の『大唐取経詩話』やそれの一部を伝える元代刊行の朝鮮の資料『朴通事諺解』中の話にも登場せず、明初の楊景賢作の『雑劇』に至って、観音は大活躍するようになる。ただし、この戯曲においては、観音は老僧と自称しており、女身ではないという。明刊本以降において、観音が女身たることを示すようになるのであるが、その箇所は次のとおりである。まず第十回、唐の太宗が助命を約束しながらそれを果たさず処刑された老竜の幽霊に、夢中で悩まされているのを、仙女に化して観音が楊柳の枝で追い払う。第二の箇所は第三五回、金角・銀角なる兄弟の妖怪が出現する場面である。太上老君が兄弟は自分の召使いの童子であると告げて、彼らを受け取って行くときである。これは明刊本の中、もっとも古い世徳堂本とよばれるテキストのみに出てくるのであるが、それと本文を同じくする『李卓吾先生批評西遊記』にも受け継がれている。これが岩波文庫本の底本であることは前述した。その場面で、金角・銀角兄弟が実は三蔵法師一行の志を試すために、観音が意図的に送ったものであることを太上老君に知らされた孫悟空は、「約束がちがうじゃないか(観音は孫悟空に苦難のときには自ら救ってやると約束している)。菩薩なんか、一生、行かず後家でいればいいんだ!」と悪態をついている。第三回は、第四九回通天河の場。南海の観音の住所落迦山の蓮池に住む金魚が通力を得て通天河の怪物となり、三蔵法師を河底に捕えてしまう。観音は孫悟空たちの請いにより、それを竹籠にすくい上げる。その条で、観音は「蓮の台(うてな)にも登らず、お化粧もせず、竹林に入って竹ひごを作っている」と述べられている。これが魚籃観音の起源でもあるというのは、いささか眉つばものの解説である。老女に化現する場面が第一四回と第五五回とにあり、第二三回では美女に化身する(回数は岩波文庫本による)」(沼義昭『観音信仰研究』佼成出版社、p390~391)
「『西遊記』における観音の登場は、実はようやく明代になってからであった。南宋末成立の『大唐取経詩話』やそれの一部を伝える元代刊行の朝鮮の資料『朴通事諺解』中の話にも登場せず、明初の楊景賢作の『雑劇』に至って、観音は大活躍するようになる。ただし、この戯曲においては、観音は老僧と自称しており、女身ではないという。明刊本以降において、観音が女身たることを示すようになるのであるが、その箇所は次のとおりである。まず第十回、唐の太宗が助命を約束しながらそれを果たさず処刑された老竜の幽霊に、夢中で悩まされているのを、仙女に化して観音が楊柳の枝で追い払う。第二の箇所は第三五回、金角・銀角なる兄弟の妖怪が出現する場面である。太上老君が兄弟は自分の召使いの童子であると告げて、彼らを受け取って行くときである。これは明刊本の中、もっとも古い世徳堂本とよばれるテキストのみに出てくるのであるが、それと本文を同じくする『李卓吾先生批評西遊記』にも受け継がれている。これが岩波文庫本の底本であることは前述した。その場面で、金角・銀角兄弟が実は三蔵法師一行の志を試すために、観音が意図的に送ったものであることを太上老君に知らされた孫悟空は、「約束がちがうじゃないか(観音は孫悟空に苦難のときには自ら救ってやると約束している)。菩薩なんか、一生、行かず後家でいればいいんだ!」と悪態をついている。第三回は、第四九回通天河の場。南海の観音の住所落迦山の蓮池に住む金魚が通力を得て通天河の怪物となり、三蔵法師を河底に捕えてしまう。観音は孫悟空たちの請いにより、それを竹籠にすくい上げる。その条で、観音は「蓮の台(うてな)にも登らず、お化粧もせず、竹林に入って竹ひごを作っている」と述べられている。これが魚籃観音の起源でもあるというのは、いささか眉つばものの解説である。老女に化現する場面が第一四回と第五五回とにあり、第二三回では美女に化身する(回数は岩波文庫本による)」(沼義昭『観音信仰研究』佼成出版社、p390~391)
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